私がクリスチャンになるまで

※お急ぎの方は、最後の「信じない者ではなく……」にお進みください。

育った環境

私は、キリスト教とは全く縁のない環境で育ちました。今でも親戚にだって、ひとりもクリスチャンはいません。母は自己解決型、つまり他に頼るというのが嫌いな頑固者でした。「あんたは私の子なんだで、宗教にだけは入りゃーすなよ。あんなもん、弱い人の頼るもんだでねぇ。強ぉ生きてかなかん。あんなもん、入ったら最後。抜けよう思っても、抜けれーせんのだに!」と子供の時、言われたことを今でも憶えています。母は、「自分さえ、しっかりとしていればよい。神も仏も関係ない」という人でした。恐らく今でもそうでしょう。そんな頑固者の血を引き、頑固に育てられたワケです。え? だからって、そんなにうなずかなくても、いいじゃないですかっ!

教会に誘われるが……

中学の時、M君という親友ができました。「あの二人、怪しくな〜い?」と言われるほど、いつでも一緒に行動していました。けれども、一緒に行動しない特定の日がありました。それは、日曜日だったのです。M君は、ご両親がクリスチャンで、毎週日曜日には、教会へ行っていたのです。M君は毎週、土曜日になるとは「教会行こまい!!」と私を教会へ誘いました。私は、毎週断り続けました。いつも一緒に行動していたのに、それだけは断り続けました。それは、キリスト教が宗教だからでした。「宗教は危ないもの」――当時、私はそう考えていたのです。M君は、しつこく私を教会へと誘い続けました。毎週土曜日になるとは、「いっぺんでええで、行こまい。」と誘うのです。私は、「明日は犬山のおじさんが来るでかん」とか「家の手伝いをしんならん」とか「家族で知多に遊びに行くで」……などと架空の親戚がどんどん増えたり、商売屋でもないのに大繁盛みたいなことを言ったり、レジャーしまくりのような、すぐバレる苦しい嘘をつきながら、言い訳も尽きていきました。

土曜日が巡ってくるのが、嫌でした。苦しい嘘をつくのも嫌でしたし、いつもM君が寂しそうにいじけるのが可哀想に思えたからでした。誘われて誘われ続けた半年後、「一度くらい、いいかな」という気持ちが湧いてきました。「そこまでして、M君が誘う教会って、どんなものだろう」と思えてきたのです。食わず嫌いの自分が卑怯だと思ったのです。少なくとも自分の目で見て、それから「行かない」と言うのなら分かる。けれども、見もせず行きもせずに断るというのは、筋が通っていないではないか、と思ったのです。

土曜日に、いつものようにM君はこりもせず尋ねてきました。「明日、教会行けせん?」 私は答えました。「明日は空いとるで、教会行くわ」と。こうして私は、生まれて初めてキリスト教の教会に足を踏み入れることになったのです。

生まれて初めて教会に行く!

地下鉄のホームでM君と待ち合わせました。けれども、一向にM君は来ません。当時はケータイとかメールなんてありません。ヤキモキ・イライラして、ウロウロと歩き回りました。そのとき、私が待ち合わせ場所から動いたので、すれ違ってしまい、もっと大幅に遅れてしまいました。やっとM君と会えたのは、9時頃でした。「もーっ! 遅いっ! 今から、地下鉄で行ったら、半過ぎになってまうがやっ!」 私は、出鼻をくじかれ、すっかり行く気をなくしていました。誰だって、最初に行くところに遅刻はしたくないでしょう。M君は「ごめん。でも、大丈夫だで行こっ。」と言って、ブスブスとくすぶる私を地下鉄に乗せ、連れて行きました。地下鉄の中でM君は、機嫌をなだめるように「これが聖書だわ」と言って、分厚い本を見せてきました。まるで辞書のようなパラフィン紙のように薄い紙でできた本。ふりがなまでふってあって、誤植はないのかなぁ……それが私の聖書に対する第一印象でした。そうこうするうちに、駅に着き、教会に向かって歩き出しました。「やっぱ、やめとこうかな……」と私は弱気です。遅刻して怒られるのではないか、怒られはしないとしても、最初から遅刻なんて印象が悪くなる、というのが怖かったのです。M君は「大丈夫、大丈夫」と言って、私を教会の方へ引っ張っていきます。……ほりゃあ、M君は毎週行って顔なじみだで、平気かもしれんけど、こっちの身になってみやーっちゅうの。恨むに、M君! ……そんなことを思いながら、歩いていき、やがて教会に着いてしまいました。

そぉ〜っと中に入ると、小中学生を前に、何やらおばさんがお話をしていました。おばさんは、ちらっとこちらを見ましたが、何の反応も示さず、またすぐに話し続けました。あ〜あ、やっぱしよぉ思われんかったんだ……。やだな。そう思いましたが、仕方ありません。お話を聞くことにしました。お話の内容は、右の頬を叩かれたら、左の頬を出すというお話でしたが、意味がよく分かりませんでした。讃美歌を歌ったりした後、一通りその行事が終わったようでした。先程、話をしていたおばさんは、ニッコリして、「今日、初めて来てくれた新しい友達がいます」と、とても暖かく私を迎えてくれました。皆は、拍手で歓迎してくれました。あーよかった!とホッとしました。みんな、とても暖かく、それでいて自然に迎えてくださいました。現実の教会は、それまで想像していた教会とは、かなり違っていました。

最初に私が出席したのは、「教会学校」と言われるもので、いわば子供向けの礼拝でした。おとなが礼拝している間、M君に教会の中を案内してもらいました。驚いたのは、電話機の後ろに置いてあった郵便ポストの形をした貯金箱と、コピーの前に置いてあったインスタントコーヒーの瓶です。その中には、お金が入っていました。盗っていく人はいないのかと、びっくりしたのです。コーヒーの瓶の方などは、ガラス瓶ですから、無防備にも中身が見えており、千円札(当時は伊藤博文だった)まで入っていました。「みんな、信頼し合っとるのか。すごいな〜」……今までとは違う世界を見たような気がしました。

帰るときに、「また、来週も来てね。」とおばさんたちが丁寧にも、優しくニッコリ見送ってくれました。「は、はい。」 イヤと言えない日本人である私は、「はい」と答えました。実は、イヤという印象は吹き飛んでおり、キリスト教って何なのだろう? と興味津々だったのです。しばらく毎週行ってみよう、すでにそう思っていました。家に帰り、夕食時、家族にその一日体験した教会のことを、事細かに話しました。

こうして、私は毎週教会に通うことになりました。今まで、毎週のように親戚づきあいしていたらしいのに、パッタリなくなるなんて不自然ですよね。でも、M君の願いは叶ったわけですし、私もいちいち断りの言い訳を、次はどんな親戚を作ろうか?などと考えることも、苦しい嘘もつかなくて良くなったのですから、まぁよいとしましょう。私も極端ですよね。今までずっと拒み続けてきた人なのに、わざわざ毎週行くようになるとは……。しかし、決して信じて浸り込んでいたわけではなく、むしろ「高みの見物」のごとく偉そうに、「この人たちは、何を信じているのだろう」という興味本位で通っていました。

何を信じているのか…… それは、簡単にはわかりませんでした。たとえば、聖書には「もし、あなたの片手があなたをつまづかせるなら、切って捨てなさい。(マルコ9章)」などとあるわけです。教会では、「罪人です」とか言うのに、なぜ、手を切った人とか、目をえぐり取った人が教会にはいないのだ? と思ったりしたわけです。他にも、疑問はたくさんありました。一番、分からなかったのはイエス・キリストのことでした。

イエス・キリストは、十字架につけられてしまうのです。なぜ、あれだけの超能力を持っていながら、そんなことになるのだろうと不思議でした。「他人は救ったくせに、自分は救えない。キリスト、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りてきてみろ、それを見たら信じてやろう(マルコ15:31-32)」などと悔しいことを言われています。そんなとき、「よし。では見なさい」と言ってスルリと体が抜け、傷口がふさがり、群衆は「おぉーっ!」と驚きひれ伏した…… と、どうしてそうならないのか、不思議でした。湧き上がる疑問は、どんどん牧師にぶつけていきました。

聖書を読み、教会に通い、牧師に質問することで、やがて大きな分かれ道にさしかかりました。イエス・キリストは、この私たち人間の罪を背負ったがために十字架についたのだということ、それがキリスト教の信仰だということを知ったからです。悔しいことを言われてまでも、十字架につき続けられたのは、私たちの「罪滅ぼし」のためだったということだというのです。私は、衝撃でした。 ……だから、十字架なのか……。その大きな分かれ道というのは、自分の人生の選択だったのです。「もし、聖書に書かれていることが本当だとしたら…… 生き方を根本から変えなくてはならない。」「いやいや、しっかりしろ。宗教の毒牙にかかっているのかもしれない。だまされるな。宗教は危ないのだから。」 ……私は、色々と考えました。けれども、自分では解決がつけられなかったのです。いくら考えても、それが本当かどうかなど、分からなかったのです。ソクラテスの言った「無知の知」を体験したこのとき、一つの良い考えが浮かんだのです。それは、「聖書の神に祈る」ということでした。

それまで、天地万物の創造者という唯一の神にお祈りしたことなどありません。神社仏閣などで、自分勝手な御利益を唱えていたぐらいにすぎませんでした。それはいわば、自分自身を動かす必要のない祈りでした。自分はどっかりと「自分の座」に座って、神々を道具のように使うわけです。けれども、今回は違います。自分自身が、神の座の前に進み出る祈りでした。そういう祈りは初めてでした。

天地をお造りになったという、神様。あなたは、本当にいらっしゃるのですか? 聖書は本当なのですか? 私は、半信半疑です。自分では答えが出せません。神様、私に答えてください。もしも、あなたが本当におられるのでしたら、この私を信じさせてください。いないのだったら…… ひとりごとだよね。神様、聞いてます? 届いてます? とにかく、今はいらっしゃると仮定して、祈ります。いらっしゃるのかな、ホントに……

祈りというのか、独り言というのか、つぶやきというのか、何とも言えない、でも私にとって初めての唯一の神に対する祈りでした。半信半疑でしたけれども。ちょうど、ドアの向こうに人がいるかどうか分からないときに、「誰かいますか? 開けますよ、いいですか?」というのにも似た感じでした。いるかどうかわからない語りかけというのは、しにくいものです。

「とにかく、これで祈ったわけだ。全能の神ということだから、信じることに警戒心を持っていたとしても、もしもいるのであれば、私の心を変えるだろう。」そう思ったのです。結果は…… 今の私が、その結果です。

信じない者ではなく……

私は、気を張って生きてきました。「宗教は危ない。だまされるもんか。宗教は弱い人が頼るためのものだ」 ――そんな私に主なる神様は、こんな聖書の箇所をお示しになったのです。

十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

ヨハネによる福音書20章24〜29節 日本聖書協会新共同訳

トマスとの会話ですが、これは自分に言われているのだ、ということがわかりました。トマスと自分が重なったのは言うまでもありませんが、自分に語りかけておられるイエス・キリストを感じたというのでしょうか。「今、私に語られている」という臨場感があったのです。

トマスはここで、自分の目や手先の感覚を頼りにしています。他の10人の使徒たちや、他の弟子たちの言うことよりも、自分の感覚こそが一番信用に値すると思っていました。私も、同じように生きてきました。自分がしっかり判断して生きていけばよい――そう思っていたのです。トマスには、他の弟子たちを愚かしく感じたことでしょう。自分はそんな幻影にだまされない。自分は理想と現実の区別がつく……そんな風に、自分を一段、上に置いていたと思います。少なくとも、私はそうでした。毎週教会に通っていても、「自分は信じない。この人たちが何を信じているのかを知るために来ているだけだ」という高ぶった思いがありました。「宗教なんて弱い人のものだ。自分は強いのだ。宗教を信仰している人とは違う」――そんな思いがありました。

けれども、私は、自分の弱さをまざまざと見せつけられたのです。それは「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」という主イエス・キリストのお言葉によってでした。主は、すべてご存じなのです。私が「自分は強い」と自分に言い聞かしながら、本当はだまされることに人一倍恐れていた弱虫であったことを、主はお見通しでした。「あなたは、自分は信じないと気張っているね。でも、気張らなくてもいいのだよ。私はあなたを愛している。私があなたを救うのだ。そのために、十字架にかかったのだよ。」と語りかけられたのです。なおも信じなければ、手や脇腹に指を入れてでも確かめてもよいと言われるのです。私は、今まで理屈で生きてきました。だまされるのが怖かった。弱い人になるのが怖かった。けれども、理屈などとは比べものにならないほどの「力強さ」に満ちた本当の愛を体験したのです。「私は、愛に応えず、自分中心の愚か者、本当の弱虫でした。あなたこそ、私の救い主です。」 そう、ひれ伏して祈りました。まさに、トマスが「わたしの主、わたしの神よ」と言ったのと同じ有様でした。

その後

私はその後、洗礼を受ける決心をします。7月に決心しましたが、牧師にクリスマスまで待ちなさいと言われました。そして、1986年12月21日、私は洗礼を受けました。教会の人は、本当に喜んでくださり、心からお祝いしてくださいました。今でも、忘れはしません。

そのときは、まだ復活のことなども、ピンとは来ていませんでしたが、後に、あの時、まさに私に語られた主こそが、人間が誰も勝つことのできない死に勝利し、復活なさったお方であられることに気づかされたのです。私は、神に愛された者として、主イエス・キリストによって成就された、神の愛である十字架と命の賜物である復活とを、この命のある限り証しし、伝えていきます。

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