原始キリスト教会における聖餐
〜教会における「本質」の探究として〜

はじめに

これは、東京神学大学大学院の修士論文として書いたものに加筆修正したものです。修士論文というのは、修士をいただくための論文であり、その修士をいただくためには、様々な制約などがあるわけで、「そういう文脈で書かれたものである」ということを念頭に置いてくだされば幸いです。

今回、WEBで公開するに当たって、そのままの形では、どうしてもふさわしくないので、修正を試みたのですが、すでにできあがっているものを修正するのは至難の業であって、あまり思うようには修正できませんでした。ですから、「何か偏っとる!」とか「堅すぎ!」とか言われてしまう部分もあるかと思いますが、できるだけこれからも、修正を重ねていきますので、ご容赦ください。

なお、論文の主旨は、「プロテスタントは崩れかけとるで、まっと、ちゃんとしなかん! 本質を考えてみやー!」ということです。なお、オリジナルでは、プロテスタントという言葉は全く出てきません。「福音主義教会」と書いてあったものを修正しています。また、「ローマ教会」と書いてあったものは、「カトリック教会」と修正しました。東京神学大学では、プロテスタント教会を「福音主義教会」、カトリック教会を「ローマ教会」とする書き方が正しいとされているからです。しかし、「ローマ教会」という言い方は、正式名称ではなく、失礼に当たるので、正式名称である「カトリック教会」としました。また、プロテスタント側の「福音主義教会」という自称は、正教会やカトリック教会がまるで福音に立っていないかのように聞こえるので、一般的な「プロテスタント教会」と修正しました。プロテスタントという呼称も「抗議者」ということなので、あまり使いたくはありませんでしたが、ほかの呼び方では、通じなくなってしまうので、やむをえませんでした。ただ、「『福音主義教会』いって自称しとるくらいなら、福音に立ちゃー!」ということで、「福音主義教会」という語をそのまま用いているところもあります。

全体的に、あのころは若すぎたなぁ……、という感が拭えません。(ちょっと戦闘的かも……!?) けれども、論文成立の文脈を汲み取ってくださり、参考程度に読んでいただければ幸いです。

→それでは、目次へGO!