プロフィ〜ル

Desiderius Erasmus ホルバイン画 ペンネームは、エラスムスといいます。左のは16世紀に活躍したロッテルダムのデシデリウス・エラスムスです。私はこんな立派な人ではありませんが、エラスムスを尊敬し非常に共感を覚えるので、ペンネームとして使わせていただいています。1971年に、名古屋の大須という下町で生まれ育ち、大須小学校、前津中学校、緑高等学校(いずれも名古屋市立)に通いました。教会へは、中学2年になりたての時に行きました。詳しいことは、私がクリスチャンになるまでをご覧ください。中学3年のクリスマスに日本基督教団の教会で洗礼を受けました。18歳の時に東京へ行きました。東京都三鷹市にある東京神学大学という牧師養成所のようなところに7年間、籍をおきました。大学院に入ったとたん、休学し、外国へ旅立ちました。当時は色々と精神的な重荷を負っており、日本にいられないほど、疲れ果てていたのです。

外国逃亡した時に、最初に行ったところがイスラエルでした。死海という、世界で最も低い所でもあり、最も塩分が高い湖のほとりにある観光業を営むキブツであるキブツ・エン・ゲディに一ヵ月半、ボランティアとして働きました。観光客用の食堂で、給仕をしたり、野菜を切ったり、洗い物や掃除をしたりしていました。その後、エルサレムのライオン門(ステファノ門)のそばにある「致命者聖ステファノの正教会」の下階にある家に住み、一ヵ月半、ヘブライ大学の夏期講座に通っていました。お陰で、ヘブライ語は、日常会話はたどたどしくですが、こなせるようになりました。その後、ヨーロッパを3ヶ月間放浪し、ホームレスを体験。帰国して、その次年度から復学しました。

修士論文は、「原始教会における聖餐 〜教会の本質の探究として」です。結論は、「教会の本質とは、聖礼典にこそある」という内容の論文です。難しい内容や言葉は嫌いなので、避けたかったのですが、修士取得という目的もあって、一部、こなれていない専門用語が使ってあります。改訂しながら、このサイトに掲載しようと勤めてはいるのですが、なかなか進まなくてゴメンナサイ……。

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